東京高等裁判所 昭和58年(ネ)2938号 判決 1984年9月28日
控訴人 大信産業株式会社
右代表者代表取締役 安島か子
右訴訟代理人弁護士 宮下勇
被控訴人 池田勝衛
右訴訟代理人弁護士 松本信一
主文
一 原判決中控訴人の敗訴部分を取り消す。
二 被控訴人は控訴人に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和五七年五月六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
四 この判決の第二項は仮に執行することができる。
事実
第一当事者の申立て
一 控訴人
1 主文第一ないし第三項と同旨
2 仮執行の宣言
二 被控訴人
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
第二当事者の主張
次のとおり補正するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する。
一 原判決二枚目表六行目の「原告を」の前に「を、」とあるのを「について、」と改め、同一〇行目から一一行目にかけて「売買契約」とある次に「(以下「本件売買契約」という。)」を加え、同枚目裏三行目に「被告が」とあるのを「被控訴人において引渡及び所有権移転登記義務を」と、同六行目に「違約金として」とあるのを「右約定に基づき」とそれぞれ改める。
二 原判決三枚目表三行目に「和解が成立し、被告は」とあるのを「和解契約を締結し、」と改める。
三 原判決三枚目表五行目から同枚目裏五行目までを次のとおり改める。
「2 民法五六一条但書の適用
(一) 被控訴人は、本件売買契約締結当時、訴外田中義一に対し約一二〇〇万円の貸金債権を有していたところ、右田中の融資先である株式会社寿産業の代表者訴外山口勝美所有の本件物件を被控訴人の所有としたうえ、被控訴人がこれを他に売却してその代金により右貸金の返済を受ける運びとなり、控訴人との間に本件売買契約を締結するに至った。
(二) 控訴人は、右契約締結当時、本件物件が山口の所有に属することを知っていたから、民法五六一条但書により被控訴人に対し損害賠償の請求をすることはできない。
3 信義則違反
本件売買契約締結後、被控訴人が当時の控訴人代表者堤正行に対し、約定期限である昭和五七年二月一五日には本件物件を引き渡せない旨を伝えたところ、直ちに手付金倍返しを求め、その後も終始執拗に右倍返しを請求し、一方、控訴人の代理人と称し、そのように信ぜられるべき状況にあった訴外堀越英夫(控訴人は、堀越と長年にわたり取引関係にあり、同人が本件売買契約の処理について控訴人の代理人であるかの如く行動することを同年二月末ころまで黙認していた。)は、同年二月末ころから被控訴人に対し手付金倍返しでなく本来の契約の履行を求めるようになった。
そこで、被控訴人は、同年三月五日堀越の要求どおり抗弁1の和解金二〇〇万円のほかに、山口が本件売買契約を承認する旨を付記した不動産売買契約書(乙第一号証の原本)、山口から受領した同人の白紙委任状(乙第二号証の原本)、印鑑登録証明書(乙第三号証の原本)及び同年四月三〇日までに本件物件を引き渡す旨の念書(乙第四号証)を堀越に交付した。したがって、控訴人としては、遅くともこの時点で山口と交渉し、あるいは必要に応じて権利を保全するための法的措置をとる余裕が十分にあったのに、何らこれらの行動に出なかった。
控訴人は、本件物件が山口の所有に属することを承知のうえで被控訴人と本件売買契約を締結しながら、右のような態度に終始したものであり、当初から手付金倍返しを目的として右締結に及んだものとしか考えられない。
以上の事情のもとにおいては、控訴人の本訴請求は信義則に違反するものとして許されない。」
四 原判決三枚目裏七行目から同末行までを次のとおり改める。
「1 抗弁1のうち、堀越が控訴人の代理人であることは否認する。その余は不知。
2 同2(一)のうち、本件物件がもと山口の所有であったことは認める。その余は不知。
同2(二)は争う。控訴人は、被控訴人が山口から本件物件を既に買い受けて所有権を取得している旨の被控訴人の説明を信じて本件売買契約を締結したものである。
3 同3は争う。」
第三証拠関係《省略》
理由
一 請求原因事実、すなわち、控訴人・被控訴人間に、昭和五七年一月一三日本件物件について、代金を二〇〇〇万円、手付金を五〇〇万円とし、同年二月一五日までに被控訴人が引渡及び所有権移転登記義務を履行するのと引換えに控訴人は残代金を支払うものとし、売主(被控訴人)の違約により契約が解除されたときは被控訴人は控訴人に対し手付金の倍額を支払うべきことを定めて(この定めを以下「本件約定」という。)、本件売買契約が締結されたこと、控訴人が右契約締結と同時に被控訴人に対し手付金五〇〇万円を支払ったこと、控訴人が、被控訴人に対し、同年四月二日到達の内容証明郵便で、残代金支払の準備を完了しているので、一〇日以内に本件物件の引渡及び所有権移転登記義務を履行するよう催告し、右期間内に履行がないときは本件売買契約を解除する旨の意思表示をしたが、被控訴人が右履行をしなかったことは、すべて当事者間に争いがない。
二 そこで、被控訴人の抗弁1について検討する。
《証拠省略》によれば、被控訴人は、本件売買契約に定められた昭和五七年二月一五日の期限までに本件物件の引渡及び所有権移転登記義務を履行することができず苦慮していたところ、仲介人として本件売買契約の締結に立ち会った堀越から、控訴人に二〇〇万円を支払うことで右契約に関する紛争の一切を解決してやると言われ、これに応じて同年三月五日堀越に二〇〇万円を渡したことが認められるが、同人が当時控訴人から本件売買契約に関する被控訴人との間の紛争の解決について控訴人を代理する権限を与えられていたことを認めるに足りる証拠はなく、かえって、《証拠省略》によれば、控訴人は、農業資材の販売、不動産の売買等を業とする会社であるところ、以前に不動産ブローカーの堀越から売買不動産を紹介されたことがあり、本件物件も同人から話が持ち込まれたものであるが、控訴人としては、昭和五七年三月当時堀越に対し本件物件に関する被控訴人との紛争を解決するため何らかの権限を与えた事実はなかったことが認められる。
よって、抗弁1は採用することができない。
三 次に、抗弁2について判断する。
本件物件がもと山口の所有であったことは当事者間に争いがないところ、《証拠省略》によれば、被控訴人は、右契約締結当時、雑貨商を営んでいたものであるが、田中に対し約一二〇〇万円の貸金債権を有し、その返済を求めていたところ、同人から、その融資先である株式会社寿産業の代表者である山口所有の本件物件を被控訴人の所有としたうえ、同人がこれを他に売却してその代金により右貸金の返済を受けることが提案され、山口もこれを了承しているとのことであったので、被控訴人は右提案を受け入れたこと、そこで田中が前記堀越に右の話を通じ、同人の仲介により控訴人が本件物件を被控訴人から買い受けることになったこと、控訴人は、当時本件物件は登記簿上山口名義であり、所有権が未だ同人にあることを知っていたが、被控訴人から、既に山口の内諾を得、名義変更に必要な書類一切が整っており、昭和五七年二月一五日までには間違いなく山口から所有権を取得して控訴人に移転し、引渡及び所有権移転登記を完了できる旨の説明があったので、これを信じ、同年一月一三日本件売買契約の締結に至ったこと、以上のとおり認められ(る。)《証拠判断省略》
右認定のとおり、控訴人は、被控訴人主張のように本件売買契約締結当時本件物件が被控訴人の所有ではなく山口の所有に属するものであることを知っていたものである。
しかしながら、《証拠省略》によれば、本件約定は、本件売買契約締結の際作成され、売主・買主双方が各自一通を所持することとなった不動産売買契約書(甲第一号証、乙第一号証の原本)の第一二条に規定されているものであるところ、右契約書は定型的な書式を印刷した用紙を用いており、右同条も印刷されたまま文言によるものであるが、右契約の締結に際し、立ち会った控訴人の当時の代表者堤正行及び取締役倉石慶治郎、被控訴人、仲介人の堀越のいずれからも、右同条の適用について、被控訴人が所有権を山口から取得して控訴人に移転することができない場合を除外する旨の発言は全くなされず、控訴人・被控訴人とも右同条による本件約定を異議なく了解のうえ、前記契約書に記名押印したことが認められる。そして、前認定のとおり本件売買契約締結当時本件物件が山口の所有に属することは控訴人・被控訴人ともに承知しており、山口からの所有権取得等について被控訴人から前記認定のような説明が控訴人に対してなされたことからすれば、本件売買契約においては、被控訴人が本件物件の所有権を山口から取得して控訴人に移転し、その引渡及び所有権移転登記手続をすることが被控訴人の最も基本的かつ重要な義務とされ、被控訴人は控訴人に対し右義務を間違いなく履行すべきことを約したものと認めるべきである。そうすると、本件約定にいう「売主の違約」の中には、被控訴人が右に述べた義務を履行しないことを含むものと解すべきは当然であり、被控訴人が右のような本件約定の取決めに応じた以上、控訴人が当時本件物件が山口の所有に属することを知っていたとはいえ、民法五六一条但書の適用はなく、控訴人において被控訴人に右義務の不履行があるものとして本件売買契約を解除したうえ、本件約定に基づき被控訴人に対し手付金の倍額を支払うべきことを求める妨げとなるものではないというべきである。
よって、抗弁2は理由がない。
四 最後に、抗弁3について検討する。
《証拠省略》によれば、本件売買契約締結後、予期に反して山口との交渉が円滑に進まなかったため、被控訴人が約定の期限である昭和五七年二月一五日までに引渡及び所有権移転登記義務を履行することができない旨を控訴人に伝えたところ、控訴人は、既に他の不動産業者に転売する話を進めていたため、被控訴人に対し、右期限を厳守すること及び期限までに履行ができないのであれば本件約定に従い手付金倍返しをすることを求め、その後も被控訴人に対し右倍返しを請求したこと、同年二月半ばころ以降堀越が控訴人・被控訴人間の上記紛争の解決に介入し(堀越が控訴人から右解決のための権限を与えられていたわけではないことは、前記二に認定したとおりである。)、被控訴人は、前認定のとおり同年三月五日堀越に二〇〇万円を渡し、併せていずれも被控訴人主張のとおりの書類である乙第一ないし第三号証の各原本及び同第四号証を堀越に交付したこと、控訴人は、そのころ本件物件の所有権移転について直接山口とは格別の交渉をしなかったことを認めることができ(右認定に反する証拠はない。)、また、控訴人が不動産の売買等をも業とする会社であり、本件物件が山口の所有に属することを承知のうえで被控訴人と本件売買契約を締結したものであることは、先に認定したとおりである。
しかしながら、右認定事実によっては、控訴人の本訴請求を信義則に違反するものと認めなければならないものとは到底解されず(なお、被控訴人が堀越に交付した前記各書類を控訴人が同人から入手したことを認めるに足りる証拠はない。)、また、被控訴人の主張にかんがみ、本件全証拠を検討しても、右認定を超えて、控訴人が当初から殊更に手付金倍返しを目的として本件売買契約の締結に及んだことなど、本訴請求をもって信義則に違反し許されないものとすべき事情は認められない。
よって、抗弁3もまた採用することができない。
五 以上説示したところによれば、本件約定に基づき被控訴人に対し、手付金五〇〇万円の倍額一〇〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五七年五月六日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める控訴人の本訴請求は、すべて正当としてこれを認容すべきところ、これと異なり本訴請求中手付金五〇〇万円の返還及び右金員に対する上記同旨の遅延損害金の支払を求める部分のみを認容し、その余の請求を棄却した原判決は、一部不当であるから、原判決中控訴人の敗訴部分を取り消し、被控訴人に対し、更に金五〇〇万円及びこれに対する前記遅延損害金の支払を命ずることとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 鈴木潔 裁判官 仙田富士夫 河本誠之)